私が「教えてあげて」の一言で動けなかった、本当の理由
50代会社員の気づきノート
「教えてあげて」が、いちばん難しい。
教えること自体は、きらいじゃない。
できるようになったと喜ばれるのが、うれしいから。
それなのに、どうしても気が進まない時がある。
気分に左右されるのはいけない、と思っていました。
でも、ちがったんです。
会社内でのすれ違いの話、完結編です。
▼ 前回はこちら▼
そういえば、これとよく似たことが、
別の場面でもありました。
書類処理とはまた別の作業マニュアルを、
Aさんに渡したときのことです。
「わからないことがあったら、
どこで詰まったか教えてくださいね」
そう添えて、渡しました。
でも、なかなか反応がない。
返ってくるのは「◯◯ができませんでした」
という、ひと言くらい。
できなかった、と言われても、
どこで詰まったのかが見えてこない。
結局、対面でこちらから一つひとつ聞き出して、
やっと躓いていた場所がわかる。
その繰り返しのなかで、
ある違和感が育っていきました。
たぶん彼は、積極的に学びたいわけじゃない。
目の前の業務に関係のないマニュアルを渡されて、
どこで詰まったかを、なぜか細かく聞かれて、
ちょっと、困っている。
そう考えると、いろんなことが腑に落ちました。
そして気づいたんです。
教えるには、土台がいる、と。
ひとつは、本人が「やりたい」と思っていること。
もうひとつは、上司から「これをやってもらう」
と、ちゃんと指示が出ていること。
この2つがそろって初めて、
私は安心して教えにいけます。
本人が待っていて、
上司の後ろ盾もある場所に、教えにいく。
これなら、押し付けにならない。
でも、今回はそのどちらも、なかった。
Aさん本人が「やりたい」と言ったわけじゃない。
私に「教えて」と、
はっきり指示が出たわけでもない。
ただ「2人で」という言葉だけが、
宙に浮いていた。
土台のないところに教えにいくと、どうなるか。
どんなに親切に教えても、相手にとっては
「頼んでもいないのに、口を出してくる人」
になってしまう。
中身は善意でも、
構造が「勝手に来た」になっている。
これ、こわいんです。
若い人に何かを教えるのは、
本当はとても良いこと。
でもそれは、本人の意思と、
上司の指示という土台があって、
はじめて成り立つ。
土台がないまま乗せられると、教える側だけが、
嫌われ役を引き受けることになる。
だから、すぐには動かないことにしました。
本人が、それを望んでいるか。
上司が、ちゃんと伝えているか。
整っていないなら、整えるところからお願いする。
それは、わがままでも、逃げでもありません。
そしてもうひとつ、思ったんです。
土台のないまま「やってみて」と言われて、
うまく動けなかったAさんは、
きっと、わたしと同じように、
戸惑っていただけなのかもしれない。
飲み込みが悪いわけでも、
やる気がないわけでもなく。
ただ、土台が、なかった。
そう思えたとき、ふしぎと、
もやもやが少しほどけました。
すれ違いの正体は、たぶん、誰のせいでもなかったんですよね。
▼最初の話は、こちらから。▼
あらためて、永野ヨウです。20年のブランクをこえて、48歳で再就職したママ会社員。本業の傍ら、コーチングを学んでいる途中です。
もしなにか感じるところがあれば、コメントで聞かせてくださいね。
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